余桃の罪

お問い合わせはこちら

専門的なブログ

余桃の罪

2020/04/21

余桃の罪

韓非子の有名な話。

むかし、衛の国を霊公が治めていた時に、霊公が寵愛した弥子瑕(びしか)という美少年がいた。

あるとき、霊公は弥子瑕を連れて果樹園に。

弥子瑕が桃を食べたところ、めちゃくちゃ美味しいので食べかけの半分を霊公にすすめる。

霊公は「君主思いやな。自分が美味しいと思ったら、礼儀など忘れて、その残りを食べさせようとしてくれた」と感激。

 

しかし、年月が経ち、弥子瑕の美しさが衰えてくると、次第に興味が薄れ、弥子瑕のすることが気に入らなくなる。

ある日、この桃のことを思い出してこう言った。

「弥子瑕はあの時、わしに食いかけの桃を食わせよった。無礼なやつめ。」

そういって処罰した。。

 

これは「肯定と否定の敷居」の話。

同じものでも受け止め方で決まる。

霊公の場合、最初はマイナス要素に対する敷居が高かった。

途中からマイナス要素をストップするはずの敷居が低下してしまった。

 

公園に行ったとき、きれいな花に目を向けるか、ゴミ箱に目を向けるかの違い。

どうせならいいものを見よう。

どうせなら得する生き方にしよう。

 

都合のいい生き方、利益のある生き方、安心の得られる生き方。

そういうものひっくるめて幸せな生き方じゃないかと思う。

 

今はコロナウイルスで大騒ぎだけど、常に怯えて、不安になって、イライラして。

その中でどう生きるか。

 

個人的には。日常生活、特に食生活を見直してよー。っていうサインだと感じています。

都合よく考える(笑)

そういう癖の積み重ね。

今の時代、大事だと思います。